7月例会「挑戦する経営者に学ぶ」

 山梨県の、「誇るべき企業」とは何でしょうか。大規模な工場を持ち、日本の産業の基幹を担う企業、山梨でなければ生み出せないさまざまな特産品や特別な工業生産品を生み出している企業、小さいけれども代替できない独自の存在価値を持つ企業...。山梨の企業数は他の都道府県に比べ決して多くはないかもしれませんが、それでも私たちは、こうした「誇るべき企業」をいくつも挙げることができるでしょう。無論、山梨青年工業会に所属するすべての企業経営者が、自社に対して何がしかの誇りは抱いているはずです。逆に言えば誇りなくして、実りある企業活動は考えられないと言えるかもしれません。ならば、「誇るべき」企業の意味も、個々の解釈によってまた変わってくるでしょう。
 しかし、今この瞬間も、世界の各地で、失われてしまうかもしれない無数の命を救い続けている山梨の企業があるとしたら、その企業を「山梨の誇るべき企業」とすることに、誰も異論はないはずです。山梨日立建機株式会社は、正にそのような企業です。
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 山梨青年工業会7月例会は、経営力委員会担当による、山梨日立建機株式会社代表取締役・雨宮 清氏を迎えての講演会でした(会場は甲府商工会議所)。すでにテレビ等のメディアを通じてその活動が広く知られている雨宮氏の講演とあって、会場にはオブザーバーや会員企業の社員の方、青工会OB(シニア)の姿も多く見受けられました。多忙な雨宮氏の青工会での講演を実現したのは、藤本恭司委員長率いる経営力委員会の熱意であり、同時にもちろん氏のあたたかい心にほかなりません。
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 1947年に山梨市に生まれた雨宮氏は、中学卒業後、「最後の就職列車」に乗って上京し、8年間のサラリーマン生活を送った後、23歳で帰郷、故郷で建設機械工場を設立しました。20年以上にわたって企業を発展させてきた雨宮氏に運命的な転機が訪れたのは1994年。商用で訪れたカンボジアの首都プノンペンで、地雷によって手足を失った老婆と少女に出会い、「この国を助けてほしい」と悲痛な訴えを受けたことが、雨宮氏の人生を大きく変えました。
 世界120カ国に埋められた、1億個の地雷。それは、戦争という蛮行が終わった後も、人々の平和な暮らしを脅かし、一瞬にして人の生を奪い生活を破壊する、残虐な悪魔の兵器です。この兵器を取り除く、これまた命がけの作業を、安全に行い、地雷の悲劇を地球上から無くしてゆく。この使命感に燃えた雨宮氏は、1995年から3年がかりで地雷除去機の1号機を完成させ、以後、山梨日立建機の製造による地雷除去機は、カンボジアはもちろんアフガニスタン、アンゴラ、コロンビア、モザンビーク等9カ国で100台以上が地雷除去に大きな成果を挙げています(世界第2位だそうです)。この間、爆破によって故障した地雷除去機は一台もなく、作業員が事故で怪我をしたり亡くなったりしたことも皆無。
 しかも雨宮氏は単に優秀な機械を創って輸出しているだけではありません。納入国と入念に打ち合わせ、現地作業員への徹底した研修を積み、万全を期して除去活動を行う助力を惜しみません。講演ではさまざまなテレビ番組で放映された貴重な映像が紹介されましたが、雨宮氏が自ら現地に赴いて子供たちの前で除去活動を行い、子供たちに地雷の恐怖を教えていました。地雷除去機は土地の開墾も同時に行う機能を持っており、除去機が作業をした後の大地は、豊かな実りをもたらす耕地に姿を変えるのです。緑に覆われた耕地から収穫を得て、感謝の言葉を述べる現地の人々の姿。雨宮氏は、単に地雷を除去するだけでなく、その後の人々の生活が向かうべき先までも思い描いているのです。
 このようなエピソードが次から次へと映像と共に紹介される講演会は圧巻の一言で、会員を初めとする聴衆は、水を打ったように静まり返って講演に聴き入っていました。
 雨宮氏はもちろん、ヴォランティアではありません。企業として、これがビジネスであることをシビアに認識されています。しかしそこには、常に「使命感」がみなぎっています。「使命感」...この言葉を、雨宮氏は何度も使われました。ものづくり企業としての力を、地雷除去による国際貢献という形に結実させ、人を救い、大地を救う。それが自らの使命であると。除去機の先頭には、誇らしく日本の国旗がはためていています。

 使命、この言葉を、私たち企業はどれだけ日々認識しているでしょうか。自分たちの企業活動が、社会に貢献していると、どれだけ誇りを持って言うことができるでしょうか。バブルという狂騒の中でおそらく日本社会はその「使命感」を忘れ、その後の私たちは実に長きにわたって、そのつけを払い続けています。そして、それを完済する手立ては、忘れていた「使命感」を取り戻すこと、それ以外にないのでしょう。巷でドラッカーの「ミッション・マネジメント」の考え方が再評価されている今、まさに手探りで、身体を張って「使命=ミッション」を遂行する企業活動を続けてきた雨宮氏のひと言ひと言が、会場を埋めた聴き手の心に強く響いたことは間違いありません。

 講演後に行われた懇親会には雨宮氏も参加され、会員と熱心な質疑応答を交わされていました。会員の「地雷は今も増え続けているし、むなしくなる瞬間はないか」という問いに、一瞬のためらいもなく「いつか無くなる日を信じ、誰かがやり続けなくてはならない」と即答されていた姿が印象的でした。かくいう筆者も、お話させていただく機会に恵まれ、製菓業だと自己紹介すると、「アフリカに行け!そこにはビスケットを求めている人がたくさんいる」と檄を飛ばされました。「求めている人のところに行く」...それが、雨宮氏のビジネスにおける「使命感」の根源なのでしょう。逼塞した山梨の産業界に対しては終始怒っていた雨宮氏ですが、しかしながら最後には「今日は若い人たちと話せてよかった」と満足気に去られてゆきました。青工会会員の心に「使命感」こそ「誇り」である、という炎のような信念を残して。
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 (文責:情報発信委員会 矢澤孝樹)

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このブログ記事について

このページは、山梨青年工業会が2012年8月 6日 18:14に書いたブログ記事です。

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